だけど触っちゃうのが俺クオリティーwww






以下雑記ってか個人的な考え

ちょっとよろしくないお話なのでそういう気分になりたくない人は見ないこと推奨




















相手を生かし、己も生きる


難しいですね。特に勝負にこだわりすぎるものをする時って。

スポーツなんかはスポーツマンシップの精神があり、お互いを尊重し合って競い合うものです。

だから試合終わった後に、握手して、互いの健闘をたたえ合う。

昨日の敵は今日の友っていう言葉がある。

ポケモンの歌詞にすら使われるぐらいの言葉だ。

とても簡単なことだと思う。しかし、この簡単なことが出来ない人がいかに多いか。

TCGに置き換えてみよう。

初めて対戦した人と、対戦後に話をして、仲良くなる。

こうして新しい輪が広がってゆく。こうして、新しい友人を作れるのもTCGに限らず、趣味を持つことの醍醐味だと思っている。

「いやー、強いですねー」とか「あのカードにこんな使い方あったんですねー」

というありきたりなアプローチからでもなんでもいいはずだ。

だが、そこで礼儀を尽くせなかったり、揉め事を起こしてしまうようなことがあれば相手は歩み寄ってこない。

むしろ敬遠されるだろう。



また、親しき仲にも礼儀あり

という言葉もある。

縁を切る機会など常にあると心得よ

ということだと解釈している。

礼儀を欠くことがあればどんなに親しき仲でも縁を切られてしまうものである。

縁を切られたことに気付けずに、また礼儀を欠く。

そうして溝は大きくなっていく。




言い方は悪いが、スポーツマンとオタク。

どちらにその傾向が強いか。

言わずと答えは出ている。−オタクである。

そもそもオタクとは視野が極端で思考、知識が偏ってる人間のことを指すのが語源である。

今のオタクの捉え方とは少し違う。


その語源が転じて、一般常識が欠如している。
という意味合いも含むようになっている。



その一般常識が「コミニケーション」であることが大多数なのも今回の雑記の着眼点でもある。









自分が常識ない人間と気付かない人間は幸せである



世界は自分を中心に廻っているからである




だが、不幸である



その世界には自分しかいないから







自分が常識ない人間と気付いた人間は不幸である



世界は自分中心には決して廻らないからである



だが、幸せである



その世界には自分以外に人がいるからである

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